8/11の報告

この2週間自粛生活をしていました。(コロナとは無関係)
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4月から非常勤開始したグループホームで7月28日(火)
首肩に違和感を感じましたが持病の首肩の痛みで気にもしていませんでした。
勤務後、体温計測は平熱。
帰宅した妻と食事をし「体調が悪いから」計測、37度。
妻は病院勤務なので大事を取り部屋を別々にして寝ていて37度5分、深夜には38度、夜中に目覚めた時は38度4分に。
目覚めの理由は強烈な首と肩の痛みそれに凍えるような寒さ。
お風呂に入り暖かくなり少し眠れそうと感じた時、強い吐き気と目の前が赤と青がぐるぐる回るようなめまい。
心配して起きていた妻を押しのけるようにベッドに倒れこみました。

7110に電話、熱や首肩の痛み吐き気めまいの事を伝え、看護師のチェック項目に返答をしたところ「救急要請すべき」との判断で妻と相談し救急要請。

やっと近隣病院がOKで搬送。救急医師は髄膜炎の疑いで簡単な検査をしたが問題もなし。咳や胸の痛み・呼吸困難等が皆無なので新型コロナウィルスは無いと判断。解熱剤をもらい、そのまま通常の帰宅。
振り返れば、2011年から首肩痛は強く、デイサービス勤務時も38度超えで強制帰宅もあった。内科・整形外科など行くが原因不明。痛み止めか温熱治療を行う程度。
毎年首肩痛に悩まされ、2016年にMRI・MRA画像診断。「いたって健康」と言われ、整形外科も「ごく軽いストレートネック気味」との診断。
整体院で「首・肩の筋肉が凝りがあまりにひどい。解していけば良くなるよ」と通うととても楽になりました。
こんな経過を経て首肩の痛みは1年中。特に春〜夏は痛みが生活の一部。
2019年夏、ヨガの先生が「頭の後ろに押して気持ち良いところがあったらきっと楽になるかも」ツボ押し棒で押すととても楽になる。頭痛の対処法獲得のおかげで問題になっていませんでした。しかし、これまでと違い首肩痛の状態は今は10なら、これまでは6程度。
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えがおの入稿もあり、活動可能日の昼間は病院や整骨院に通い、極力外出を控えて体力を温存し、軽いストレッチを行い安静にしていました。特に午後から夜間はぐったり。
首肩痛で夜中に起きる日々。眠れぬ夜を過ごし、調子の良い午前中になるべく用事を済ませてきました。
悪い習慣ですが普段スマホを見る習慣を控え、パソコン作業も最小限に。メガネも新調。
えがお作成以外はほとんどパソコンも起動しない日々。前傾姿勢の乗車姿勢のバイクも交換を検討しています。(使っていない姿勢が楽な250ccあったら教えて)
素晴らしい医師や整体師、そばで優しく見守ってくれる妻がいて、マンション中の人が何かあったら声かけてね、と声かけてくれます。
予定していた菊名みんなのひろばのイベントを延期してしまったり、オンライン会議とはいえ、睡眠不足から眠ってしまったりと大失敗です
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先ほどそんな私が生懸命作ったえがお9月号を入稿しました。
現在の熱は37度5分程度(朝は36度台夕方夜は高くなります)
肩甲骨の下から後頭部の耳のあたりにまでちょうど上半身の形をしたトルソーのような厚い鉄板が入っているような状態が続いています。
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でも。
せっかく両親が授けてくれた持ち前の明るさと、前向きに進める力と、なんでも忘れてしまうけれど積極的な好奇心が僕らしいエネルギー。
50代も半ばを超え人生の終盤に真剣に向き合わなければなりません。
どこかの道で倒れていてもその時の迷惑を最小限にしてでも前向きに生き続けていきたいと思います。

僕のいるところは「少しうるさいかもしれないけれど、そこには笑いがあり、手を取り合う優しさがあって、戦ったり、非難したり、責めたり、責任追及のない、本当に生きづらさを抱えている人の癒しや慰めや許しの場所になるように、そして僕らしくくだらない話題でえがおを届け続ける場所」であるよう生きていきたいと思います。
感謝をはるかに超えて僕を支えてくれる人生の終盤に出会った妻、生まれてからこの方一緒に暮らしてくれた兄と妹、そしてこのように命を授けてくれた両親に恥じない生き方をしたいと思います。


よく言えば、命を全うして、そして悪く言えば動物の1つの個体が呼吸を終えるだけのことです。
僕らしく僕らしく僕らしく、あっちこっちに迷惑をかけるけどでも心のそこから出会う人すべてが笑顔で暮らせるよう頑張ります

ADHD

そうそう そうなんです。

Twitterで見てから2日間色々検索してきたけど、ぼくはこれが一番しっくり来る>ADHD

僕って大変だなぁと思う反面、ある意味の特性のはっきりしているスペシャリスト。
ADHDの他にもHSPや依存症などの特性が絡み合って僕が出来ているなぁ。

でもこれは誰にでも言えること。

衝動的に動く「実行力」がある
渋滞や行列が嫌いだから「工夫」して対応できる
声が大きいからみんなと話ができる
話すことが多いから静かな場面や説明の場面では「重宝」する
頑張り過ぎと受け取られるくらい「活動的」である

あ!僕は出来なこともあるけれど
こんなにたくさんの「できること」に囲まれているなぁ

何を見て何を感じてるか

僕の高齢者の時の画像を見た。

僕はこの時に何を思うのだろうか

幸せな僕でいるだろいうか

前を向いて歩んでいるだろうか

その時、この2つの目から何を見ているのだろうか

暗く歪んだ悲しい現実を悲しみの目で見ているだろうか

誰にも理解されず頑なに考えを周囲に押し付けて迷惑に感じられているだろうか その気持を誰にも譲らず、指摘されれば頑固にはねつけて更に誰かを困らせているのではないか

それとも登る朝陽に感謝を、輝く日光に生命への暖かさを、沈む夕陽に一日の感謝を、遊ぶ子供に未来の豊かさを、さえずる鳥に自然の恵みを、そして話を聞いてくれる友に最大の感謝を感じているだろうか

うん、うんと一日を楽しみ布団に入る時間を希望と感謝に満ちたものにしているだろうか

10代の僕の振る舞いが20代で大きく影響したように、いま50代の僕の言動は70〜80代の彩りあふれる豊かな生活に直結する。

何よりも自分に感謝 私はわたしに責任を取る そして責任を果たした私に尊敬と感謝。

そしてこのように命を授けてくれた両親に感謝。

いまだ。

いまだ。

僕はあたたかい愛情を胸に。

忘れそうな時ほどあたたかい愛情を胸に。

嫌な言動の数々

僕は誰かを責める言葉や態度が苦手

最近はツイッターやブログなどで政権や有名人の振る舞いやそれこそ自粛警察ではないけれど「不適切!」「不謹慎!」という言葉でたくさんの活動行動が制限されている

それは人それぞれですから、いろんな思いや価値観の人がいるでしょう。

けれどね、やりすぎなんだ。

どうして他県のナンバーの車に傷つけていいことになるんだろう

どうして誰かを「人としてどうか?」とか突拍子もない言葉で責めるんだろう

これでは残念だけどそれを書いている人たちのことが心配になってしまう。

自分の行動。

それに自分の言葉

そこにだけフォーカスすればいいのに・・・って毎回感じてしまって僕はもういたたまれなくなる。

いいんだよ 自粛警察する人もそれなりにきっと意味はあるし、きっと辛くて苦しいのだと思うよ。

でも他人を使って、責めることでその気持ちを代替えしないでほしい。

自分で行こうよ、自分のことだもん

きっと誰かを正当な言葉や態度で責めることではなくて自分の行動を自分由来の感情と自制で改めていく。

これができないとあなたもきっと「自粛警察」の対象になってしまうよ

傷つけられるからその行動をしないのでなくて、影響を受けるか受けないかは自分で決めるというスタンスが一番いいと思うよ。

がんばろうよ 責めない 理由を聴く 受容する 共感する そして心配してその辛さや苦しさを何よりも大切に一緒になって考える。

これだと思う。

見てみないふりしない。

さっき新横浜で強風で大きめのゴミ箱2つが倒れて散乱してた。
僕がバイクを止めて片付けようと道の端にバイクを止めたら先に片付けていた人が居た。導尿バッグを腰から下げた高齢男性。一緒に片付けてきた。
導尿バッグを付けているからどう、というわけじゃないけど、生活の配慮が必要な人が率先してるんだ。
外見で健常に見えるからって、誰もが手を差し伸べてくれとは言わないよ。誰もが僕みたく時間があるわけじゃないしね。

愚痴るならやるなよ、そういうお叱り上等。

それはそれでいいけどさ、他の人なにしてるんだよ。
たくさんの人通りがあるのに、みんな知らんぷりか?
自分たちの街だろう?

今僕はこういう気持ちで、でもやっと落ち着きかけてきた。
フゥ〜 ←息を吐く音

見てみないふりしない。

2010年の夏の鶴見川清掃のときから決めたこと。

目に入ったゴミは不可能でない限り絶対拾いに行く。
遠いから、小さいから、ぬかるみだから・・・うるせぇ。
見た以上拾いに行く。そう決めたんだ。
(川の中は入らないけど対岸でも拾いに行く)
何度もつぶやいてきた言葉。
もう、見て見ぬ振りする大人にならないんだよ。
自分に言い訳したらきりがなくなるぞ。

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見たら動く。

ぼく動きます。
動けるんです。
だから動きます。
動けなくなるまで。
せっかく親からもらった体だもん。

2020年4月1日に

おはようございます。

今日は4月1日。新年度の始まりですね。気持ちを新たに2020年度を迎えたいと思います。世間はこのような状況ですがそれでも明るい気持ちや前を向く気持ちを失っては寂しい悲しいと感じるのも事実です。

先日テレビ放送で人気のグループ嵐さんが大きな声で「走り出せ♩走り出せ♫」と歌っていました。不謹慎なんて言わないでください。若くても年齢を重ねていても前を向いて自分の思う方向に体や心を向けて進んでいく事がこの時期だからこそ大切だと感じます。

その後にいろいろな歌でみんなが心の思いを伝えてくれていました。

私は50代後半になりましたがそれでも前を向いて毎日進んでいこうと決意しています。
その決意の中に不要不急の外出は控えよう、人混みに出向くのはやめよう、必要以外のものを備蓄するのはやめよう、そのようなことを考えながら生きています。
やめようなんて後ろ向きじゃないかなんて言わないでくださいね。

私は仕事柄多くのシニアと出会います。消極的かもしれませんがそのシニアたちに私が無症状感染者であったらと言うスタンスで接しているのです。

今一人一人が自分たちのできることを、新型コロナウィルスが、隣の人やこれから出会う人や支援や支えが必要な人のことを考えて行動することを教えてくれています。
そう理解して私たちは自分のできることを大きくても小さくても始めていきたいと思います。

写真は妻の美保が結婚記念日のために用意してくれた2人のささやかな温泉へのお出かけです。
今、私は定期的な収入がなく、妻に迷惑をかけてばかりです。そんな中の心遣いは大変嬉しくて涙が出る思いです。
私のような者と結婚してくれ、日々を一緒に暮らしてくれる妻に何より感謝です。

志楽の湯にて

私のようなものではなく、他にたくさんいる素敵な人と暮らしていたら、もっとたくさんの素敵な思い出が作ることができたのではないかと思うと胸が締め付けられます。
それでも僕は前を向いて歩いていくし、僕のできる形で妻を大切にしたいと毎日思います。

それこそ私の亡くなった父母が私に授けてくれた私にしかできない愛情の行動だと思っています。これを行わなくて、僕らしい人生はどうなるのか想像もつきません。

ちょうど私たち2人は2011年4月2日に神奈川スケートリンクで出会いました。今日で10年目です。その節目に投稿してみました。

2人がいつか別々この生命を終える時、心の中のすべての思いを込めて、互いを支え合えるように、これから先の残された時間を有意義に暮らしていきたいと思います。

一番強い人は一番やさしく一番我慢ができ一番周りのことをのために活動できる人だと信じています。

私の家族が、すべてがそうあり、世の中がそうであり、世界中がそうあることの、小さな前を向く歯車として。

2020年4月1日

ぼくのミッションステートメント

私は自分自身を大切な存在と認識し尊重します。

それと同じく周囲の人やものや出来事を尊重します。

また自分の無限の可能性を信じると同じく他の人ことすべての可能性も信じます。

これらを語るだけでなく行動で人生を埋め尽くします。

母の日

1992年の今日 母が他界した。母のいない年月がもう27年。

でも母がなくなった年齢まであともう2年。

僕らを残していったその日。

母は美しいままだった。

夕焼けに輝く柿がなにかのきっかけでサッと枝を離れていく、そんな母だった。

その日からなにか歯車の歯が一つかけているようなそうでないような日々を過ごしている。

そうだ。

僕の心のなかにある幸せの水甕が容量不足としっているような感覚だ。

そうして荒みゆく私に気がついたのはこれを書いている今。

まさしく今なのだ。

そうか、私はそれまで母が塞いでいた漏れゆく栓。

それが抜けていたことに気がついていなかった。

だから別の何かで埋めようとして失うようになったのだ。

それまで欠けてはいたが保たれていたバランスの秤。

私の皿を満たすことが生きていると実感できる証になった。

そして私の思いを実現できるところにそのエネルギーを注ぐことになっていった。

もういいよ。

もういい。

僕は母にまだもたれかかっていたままだ。

だから母は僕に語りかけなかったんだ。

僕には十分すぎるほど注がれている想いを胸にあしたから更に輝く。

克之 お前ならできる そう言ってくれた父がいる

母と同じところに。

ぼくにはまだまだ余力がある

僕にはまだまだ余力がある

苦しくも辛くもないしまだまだ前を向いている

街なかの電柱のように立っていることができる。

だからもっと困りごとを抱える人のためになにかできる!って思った。

その中でも高齢者のことはいつも気になる。

変な喩えだが「手っ取り早く」困っていて

「ちょっとしたこと」でも喜んでもらえる。

そう リターンは大切なのだ。

だから僕の中では香りや小さな変化と同様にその存在感をもってぼくはことにあたる。

小さな猫がいつも歩く通勤路の脇を左からきて左側に曲がるときに違和感だ。

そう、青信号なのに発車しない白い車。製薬会社の営業の車。スマホに夢中なのだ。そんなやるせなさ。

だからぼくはそんな困りごとを遠ざけて本当に困っている人の元へ急ぐ。

声かけることはしょっちゅう。

多いときは一日に20回くらい。

僕にしかできない社会作りなんだ。

そんな僕がみかちゃんにやってるフェスタに顔だした。

多くの子供達、とくに少女を喜ばせるようなキラキラしたものやカラフルなものが並べられている。

あ、少女はこれでいいな。

でも高齢者だって一緒じゃん。

みかちゃんにできて僕にできないわけがない。

じゃなくて、みかちゃんだって苦労して作り上げてきた。

だからぼくも頑張ってしっかり進んでいけば多くの高齢者をいつもよりも少し多くのプラチナ世代を笑顔にできる。

だかこそ、僕もなくなった父母の笑顔をも含めて作り出していきたいのだ。


僕は歌人だと思っている。

だから短歌で表現しよう。

シニアでも彩り求め立ち上がりえがおはともに求めてあるく

救急要請 2012年5月26日

昨日は雨で、でも営業に出たかったので川崎市中原区や幸区を自転車に雨具で走り回っていました。その距離30kmはゆうに超えていたと思います。昨日の14:19 僕は救急車を要請しました。その少し前、川崎市にある鹿島田駅を少し超えたところの商店街の交差点で信号待ちをしていました。そこの向かい側の道を走ってた自転車が後ろ側に、前輪があがる形でひっくり返ったのです。中年の男性が自転車に合わせて後頭部からひっくり返りました。そのままドンという音と一緒に。

そのまま男性は起き上がってきません。雨に濡れた交差点の角にひっくり返ったままでした。心配して信号を無視し周囲の車に合図をしながら近づきました。「おじさん~ 大丈夫?」大丈夫どころではありませんでした。

後頭部に亀裂のようなものがあってが入ってそこから鮮血が溢れだしてきます。髪の毛はすぐにベットリとなってしまいました。すぐに声をかけました。「おじさん名前はなんて言うんですか?」「○○」←姓だけぼそっと言いました。「歳は幾つですか?」「55」うん 意識はある。でも出血は続いている。

そのまま救急車を要請しました。119「火事ですか?救急ですか?」僕「路上で出血している人がいます」119「どこですか目安を言ってください」僕「幸区下平間○○○です」僕「パチンコ○○○○の交差点の角です」(ちょうど目の前に番地表記がありました)119「けが人はどんな感じですか」僕「左の後頭部から出血しています 鮮血が波打っています」(ああ!ああああ!出ています!早く来てください!)119「落ち着いてください あなたのお名前は?」僕「ほんまといいます」(そんなこといいから早く来てください 血が溢れ出てるんです!)119「落ち着いてください あなたの電話番号を教えて下さい」僕「はい 070-・・・・」119「一般電話ではないんですか?」僕「そんなことどーでもいいでしょう!ピッチですよウイルコムです!早く来てください!血が出てるんですよ!!」119「電話番号を最後までお願いします」僕「はい 070-657・・・・・・・です」僕「もういいですか?早く来てください!!!」119「では救急車を向かわせますから近くに来たら手を振って合図してくれますか?」僕「はいわかりました!はやくきてくださーい!!」

こんな感じでした。この間遠巻きに観てる人数名。近寄ってくる人2~3人。「今救急要請しましたからもう平気です」(なんて落ち着いたふうに言っていましたが他にできることはありませんでした)車は避けて通るし、でも救急救命講習でやったようにAEDを使うような場面でもない。頭を売っているので濡れた路面だけど座ってもらっているしかないなと思ったからそうしてもらっていた・そこにクロネコヤマトの自転車で配達していた人が傘をさしかけてくれた。そうだぼくは傘を持っていなかったからそういう発想ができなかった。

僕「ありがとうございます」クロネコ「いえいえ 救急車呼んでいましたね」僕「はい 今さっき電話終わりました」クロネコ「動かさないほうがいいですね」僕「はい そうします」

一緒に傘をさしかけていると顔つきのはっきりした小柄な女性が自転車で通りがかりました。女性「大丈夫ですか?」僕「はい 数分前に救急車を呼びました」女性「自転車をどけましょう」(そう言って足元にあった倒れた自転車をどけて下さいました)

そうしているうちにやっと近くで救急車の音が聞こえました。きっと5分くらいかかった思います。でももっともっと長く感じました。クロネコさんとも「長いね まだかかるのかな」そう話しをしていました。僕「救急車を誘導してきますのでいて下さいますか?」クロネコ「はい」

ぼくは少し交差点の真ん中に行ってバナナ園の帽子をおおきく振りました。救急車が近づいてきてなんと安心したことか ほっとしました。(よかったぁ!やっと専門の人が来てくれた)

僕「通報者です」救急隊「どんな感じですか?」僕「ここの交差点のこのへんから自転車に乗ったまま・・・」(説明しました)救急隊「ありがとうございました この人はお知り合いですか?」僕「いいえ でも名前は○○さん 年齢は55歳だと言っています」救急隊「○○さん お年はいくつですか?」「55」救急隊「少し酒飲んでるの?」「うん(うなずきました)」

救急隊「こちらであずかります ありがとうございました」

僕は自転車を整理してクロネコサンと女性にお礼を言ってそこの場を離れました。この頃にはやじうまもいなくなっていました。

自転車でつぎの訪問先に向かう途中に僕特有の状態かな、ハイになってきました。溢れ来る感情に行動がついてこれません。涙が溢れてきますそれはこんなことだった思います

「ああ!良かった!あの人の家族はちょっとは安心できたろうな!よかった!」「専門の人に問題なく渡すことができた よかったよかった!!」「よくやった ぼくはへたっぴいだけどできるかぎり落ち着いて頑張ったぞ」「ああやって頑張っていればクロネコサンや女性のように手伝ってくれる人は出てくるんだな」「ああ ぼくは幸せだ 怪我もしていないししっかりした体で生きている」「お父さんお母さんありがとう ちゃんと見ていてくれた?ぼくは一生懸命頑張ったよ」「でも本当はすごく怖かった・・・どうなることかと思ったよ!」「みほちゃ~ん 怖かったよ~」

こんな感情が次々沸き上がってくるのでした。とにかく何とかなって良かった。

30分もすると随分落ち着きちょっと頑張った自分をしっかり褒めていました。そして興奮状態から平静状態に、いつものぼくに戻っていました。

注:画像はイメージです。